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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2009年03月31日

ドラマ化されるらしい

「ツレがうつになりまして」がNHKでドラマ化されるらしいです
このマンガ本は、私も好きで待合室に置いています
待合室ではよく読まれている方の本です

ドラマは5月下旬から放送されるようですが
「ツレ(夫)」は原田泰造さん、奥さんは藤原紀香さんが演じるようです

私はこのマンガの、ホンワカした独特の世界感が好きなのですが
これをドラマにできるのだろうかと心配になります
あまり強引に雰囲気を変えてしまうと、原作の良さが失われ
「うつ」に対して、押しつけがましくない知識の提供も変わってしまうのも困ります
監督する人の力量は大事ですね

しかし、演技派の原田泰造さんがどう表現してくれるかは楽しみではあります
藤原紀香さんは話題の人ですが、演技はあまり見たことがないので私の中では未知数です

いずれにしろ、「うつ」について正しい理解が少しでも広まる機会になればと期待しています

  


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(2)「うつ」について

2009年03月30日

男と女

女性の患者さんが、時折言われることで
「夫は何にも言ってくれない」「夫は話を聞いてくれない」等があります

これはなかなか難しいことですよね
一般的に、女性はストレスがたまると話して発散しようとしますが
男性はストレスがたまると人と話したくなくなるものです

もちろん全ての男女がそうではありませんが、一般的にそういう人が多いということです

ですから、妻がストレス発散に話したい時に、夫は話を聞くだけの余裕が必要ですし
夫がストレスがあり黙っていたい時は、妻はそれを見守る余裕が必要です
この呼吸が合わないことが問題なのかもしれません

そこで少しだけお勧めの本があります



例えば「妻の変化に気付きましょう(髪型、服装、アクセサリー等)」
「妻の愚痴は傾聴すればいい、意見は言わなくていい」等のことが書いてあります

私もなかなか出来ないことですが、女房に捨てられないために努力してます

でも本当に読んで欲しいのは、こんな本なんかくだらないと一蹴してしまう人ですね

  
タグ :女房


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(7)日々の診療について

2009年03月29日

シンケンジャー


息子が大好きな「侍戦隊シンケンジャー」のプラモデルを買わされてしまいました
一週間以上「欲しい」と言われていたので、つい買ってしまいました

当然、息子は自分では作れないので、私が作りますが
最近のプラモデルは接着剤も要らないし、変形もスムーズに出来るし
開発した人はすごいなと思いました

なんでも5体集まれば、それぞれに変形して合体してロボットになるようです
いずれ残りの4体も「欲しい」が繰り返されるのだろうなあ
クリスマスまで待ってサンタクロースに頼もうは、通用するかどうか  


Posted by まっちゃん  at 22:59Comments(0)その他

2009年03月28日

担々麺


今日は午前中で診療が終わり、夕方から福岡で勉強会に参加しました。
正直言うと、福岡まで行くのは面倒だなあと思いながら行きました。
でも参加してみると、非常に勉強になり、良い刺激をいっぱいもらいました。自分も頑張らなきゃと、元気になりました。
良い刺激は、疲れている体を元気にしてくれる。いつも思うけど、不思議な感じがします。
写真は夕方に食べた頤和園の担々麺です。以前に佐賀ファンブログで見ていて食べたくて、たまたま勉強会が頤和園の近くであったので、食べにいきました。
ゴマの風味が美味しくて、後でジワーッと汗が出てきて、期待通りの味でした。
  


Posted by まっちゃん  at 21:59Comments(2)その他

2009年03月27日

三つの「あ」

三つの「あ」とは

ずっと以前から人を落ち着けて再起をはからせる時に使われてきた言葉です

それは、「あせらず」「あわてず」「あきらめず」です

私も日常臨床の場で、よく使っています

患者さん達は、病気が治ってくると段々と焦りも感じてきます

そのような時に

「あせる気持ちを抑えて、自分のペースをつかむまでじっくりと構えて
完璧にやろうとしないで、自分に出来る事から少しづつ始めることですよ
そして決してあきらめないことです」

と説明させていただきます

これは時代が変わっても普遍のことなのかもしれません

「あせらず」「あわてず」「あきらめず」と自分に語りかけながら行動できたら

それは良い結果につながりやすいのではないでしょうか

  


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(0)日々の診療について

2009年03月26日

これは必見ですよ

今日は自分の文章ではありませんが、私がすごくいいと思った文章を紹介させていただきます

書いたのは日本メンタルヘルス協会の会長、衛藤信之さんです
日本メンタルヘルス協会のホームページに「えとうのひとりごと」というコーナーがあり
そこの中の「正しさのワナ」という文です
少し長いですが読んでもらえば、私が推薦する気持ちも理解してもらえると思います
(もちろん私のブログに載せる許可は取ってます)

「正義を武器に持ち歩くと、多くの負傷者を出すものです。

 子供の頃から、何かをする時は、みんなでやり遂げたいと思っていた僕は、無関心な友人に嫌気がさしていた。なぜ、熱くなれないのかと、なぜ同じクラスの友達なのにと・・・・。

 あなたの正義と僕の正義は違う。また、あの国の正義とわが国の正義は違う。そのことに気づいたのは、ずーっと後になってからだった。今でも正義の病に侵されることがある。これは、なかなか治りにくい病だと思う。

 子供がガンを経験したことで、僕もアリゾナで、小児ガン撲滅のチャリティーマラソンに出場した。今でもカウンセリングでは、感情移入してしまう話は、子供の病気や、子供への虐待や事件に巻き込まれることだ。

 小児ガンの親の会もいろんな所にある。僕もよくそのような会から講演を依頼される。でも、スケジュール的に合わなかったり、もろもろのことで、お断りしなければならないこともある。その時には正義の手紙でお叱りを受ける。「同じ子供の親ならば、スケジュールを調整すべきだ」と。その同じ時間に、違う場所で、僕が多くの子供たちのためにと講演をしていたとしても・・・・・他人に正義のヤイバが向けられると、攻撃力は強くなる。それは「自分は正しいことをしているのに」と、自分側の正義にのみ心を奪われるからだと思う。

 僕は最近、持ち歩き用の箸を持参している。生徒さんからいただいたお箸だ。持参の理由は、森林伐採や、地球環境を考えた強い信念で、と言いたいところだが、僕は、エセ・エコロジストです。なぜなら、カバンに忍ばせている箸を忘れて、「いただきます」と言うやいなや、割り箸をパチンと割ってしまう。環境問題にしっかりと取り組んでいる人からすれば、許せないたぐいの話かもしれませんが・・・・・

 今年の夏至の日に、てんつくマンの呼びかけに協賛して、日本メンタルヘルス協会もキャンドルナイトに参加した。毎日恒例の食事会を開かず、カウンセリング講座の受講生に一週間前からキャンドルをプレゼントした。僕もその日は名古屋のホテルに宿泊だったので、なるべく電力は使わず(音楽は聴いたので、まったくではない)ホテルの部屋でゆっくり過ごした。

 僕は仲間に「やれる範囲でね」と呼びかけた。なぜなら、カウンセラーをやっていると、完璧を求める人は、不完全な自分に落ち込むことを知っているからだ。
 完璧な運動を求める人は、完璧な活動をしない人を責める。

 正しさで始まった仲間との運動も、仲間を攻め合い、途中で空中分解するケースが多い。自分の完璧を求める心が、他人に怒りをぶつけてしまう。「正義論」で来るから、責めている人も、責められる人も、互いに許したり、自分の意見を述べるという逃げ道がない。

 奥さんが正しさを武器にするため、ご主人が口を閉ざしてしまうケースも多いし、その逆に、正論でくるご主人に、忍耐している奥さんも少なくない。どちらも楽しくない。人間は理屈で動く動物ではなく、感じて動く動物だからです。

 ある講演会で、僕は幸せというのは、「白亜の豪邸に住むことでも、豪華な五つ星のレストランで毎日食事することでも、六本木ヒルズでオフィスを構えることでもなく、」本当の幸せとは、今の日常の生活に幸せを感じ、「陽が昇ることに、周囲や自分が健康なことに、今日も平和なことに、奥さんが作る何気ないお弁当に」幸せを感じることですよと、話をしたことがあります。

 数日後に届いた手紙に、女性解放運動家の方から、「衛藤さんは、“奥様がお弁当を作る”と安易に言われましたが、奥さん=お弁当。そのような考えが日本の女性達を解放できないのです。お見受けしたところ講演者としては、お若いので仕方がないのでしょうが、人生勉強が足らないように思われます。」

 僕はこれには、驚きました。僕の話は「幸せとは」であって、「女性のあり方」を語った訳ではないのです。もし僕が「奥さんが、お弁当を作るべきです。ご主人にお弁当を作らせる女性は最低です!」と語ったなら、この手紙の怒りは理解できるのですが・・・・。

 まるで、重箱の隅をつついたような非難だった。何かに怒っている人は、キッカケは何でもいい。怒りをある人に向けることが目的だから。不思議なのは怒っている人は、自分が正しいことを言っているという正義の側に立つので、自分が何に怒っているのかという、自分自身の感情には目を向けない。ただ、私は正しい、相手が間違っているという気持ちが感情全体を支配する。

 僕はあわてて「そんなつもりではない旨を伝えよう」と手紙を出そうとしたが、そんな人に限って、住所も氏名も無記なのです。まるで、言いたいことを伝えて、苛立ちを一方的に発散したかったとでも言うように、こちらの意見は一切聞かない。正義の権化になると問答無用になります。

 僕としては、頭を突然殴られて、走って逃げられたような心境でした。なにより、女性解放を語りながら、「お若い」からとか、「お年寄り」だからと、ジェネレーション・ハラスメントをしている自分自身のことには気づいていない。

 僕は、講演者が話す話は、一般論として聞いている。僕の子供は一歳の時に、小児ガンで大学病院に入院したが、一般に「こんな生活はガンになる」と言う類の話はどこにいても、よく聞く話しだ。

 テレビでも、講演会でも、「子供に、こんなジャンク・フードを食べさせると、子供はガンになります」とか、「親がこんな生活だと、子供はガンになります」と聞いても、それは、一般論として可能性があるということで、「そうなんだろうなぁ」と納得して聞いています。

 僕は「子供にはそんな物は食べさせていないし、僕たちは、そんな不摂生な生活はしてはいなかった」と怒りの手紙を書くこともありません。それは、僕に向けられた話ではなく、一般論としての話ですから。

 また、テレビ局に「すべてのガンがそういう訳ではないでしょう」とクレームを言う気にもならない。なぜなら、報道関係者も「そのお怒りは分かります。申し訳ありません。これは一般論としての話ですから・・・」とクレームを入れた人を肯定するしかない訳ですから。それ以上には何もない。

 もちろん、クレームを言う人が「私が正しい人だと認めてほしいの」「自分は立派な人だと認めさせたいの」と自覚しているのなら、話は変わります。なぜなら、人にはいろんな楽しみ方があるからです。問題なのは苛立ちの本当の意味を知らないで、他人を裁く正義の権化と化した、その人のパーソナリティです。

 一般にこのような人は、子供にも、恋人にも、部下にも正義をヨロイに容赦なく相手を責めます。そのため、大切な仲間から「また、はじまった」と嫌われているか、その人が怖いから多くの人々は従順に服従し、その中でお山の大将になることが多い。

 僕は思う。人は正義で責めあうと、誰もが、不完全な存在だから生きにくい人間社会になると。もちろん、情報を出す側の配慮と気遣いは必要なのです。ただ、一般論だと言う話もあるのです。

 テレビで「日本のお父さんは・・・」と言う場合。すべての日本のお父さんが“そう”だ、と言い切られるのは「過度の一般化」だとは思うけれど、僕は苛立ちはしない。なぜなら、それは一般論の話だろうからです。でも、自分だけに意識が敏感に向く人は、自分が否定された気になります。被害妄想も、このような心理状態の一種です。
 そのような人が、正義の武器を手にすると、勢い感情的になるのです。そして、テレビ局にクレームを入れる。

 日常的に穏やかな人は、怒ることと、受け流すことが、ハッキリしている。そして、いつも大らかに笑っているから、子供からも周囲からも嫌われはしない。

 自分の正義にのみ意識が向くと、「相手はそんな気持ちで言ったのではなかったのかもしれないなぁ」という余裕がなくなる。正義のために、国のために、愛のためにと大義名分を持つと「自分の正論」しか見えなくなる。だから、それぞれの正しさを信じるテロも戦争も終わらない。この怒りの連鎖を止める方法は、勝ち負けのゲームから降りるしかない。

 和歌山のカレー混入事件の容疑者の自宅の塀に、おびただしく罵詈雑言が書かれていた。「悪魔の住む家」「鬼畜!出てゆけ」などが所狭しと書かれていた。そこには、当時、なんの罪のない容疑者の子供が住んでいたことや、子供たちの心の傷などは想像もしない。

 松本サリン事件で、疑われた河野さんご夫妻の家に、「悪魔出て行け!」と石を投げたのは、正義の一般人です。後に、それがカルト化したオウム真理教だと分かると、反省も無く、新聞が悪いと、自分の見方の偏りを反省することもしない。中国の孔子も、このように良いとか悪いとかで人を決め付ける良識者や、一般的常識人の怖さを一番恐れた。中世の魔女裁判の魔女狩りで一般の人々が多く血祭りにあげられた。その恐怖も正義心から生まれた。

 正義を叫ぶ人によって、誰かの心が傷つけられてゆく。

 イラクで人質になった若者と家族に、罵声を浴びせたのも、マスコミに煽られ、国の正義を信じた人々です。そして、戦争を始める人々も、自国の正義の御旗に集まるのです。

 今、話題になっているモンスター・ペアレントと呼ばれ、学校に対して非常識なクレームを入れる親も、根っこのところではつながっています。「卒業アルバムにのっているうちの子供の写真が、他の子供より少なくて傷ついている。学校教育は平等であるべきでしょう。すぐにアルバムをつくり直せ!」「学校の呼び出しに応じたために、会社を休んだ。休業補償を請求します!」「学校で子供の携帯電話を取りあげられた、その携帯が使えない時間帯の電話代は、先生に支払ってほしい」などなど。

 こんな話を聞くと、耳を疑うが、自分は間違っていない、自分は子供を守るために戦っていると、信じて疑わないのです。

 近所の迷惑を考えないでゴミを収集する、ゴミ屋敷の問題。近所に対して嫌がらせをする変わり者は、毎日のようにテレビに出てくる。お騒がせの人々に共通するのは「自分は間違っていない!」と金切り声をあげるのだと警察の人は首をかしげていた。共通するのは自分だけの見方。自分だけの正義を疑わない人々です。

 今、世界に起こっている戦争の問題も自分を疑っていない。今の時代、大切なことは、自分の正しさを疑う時代なのかもしれません。

 仏さまのおでこにあるチャクラは第三の目とも呼ばれています。それは、自分を見つめる目だそうです。最後に必要になるのは、自分が正しいと思っている正義のよりどころを客観的に見つめ、自分を疑ってみることです。自分の正しさは絶対なのか?自分も知らないで人を傷つけることはないか?自分の間違いは許すけど、他人の間違いを許せないのは、人生を楽しんでいないからではないかと、自分に訊ねてみるのも良いでしょう。洞察の目を向けることが大切なのです。

 ただし、自分を疑い、自分を責めて、うつ病になっている人には必要ありませんが(重箱の隅の、読者のクレーム用のただし書き・・・・)

 人を責めたくなった時には、自分を客観的に冷静に見つめる心の目を持ちたいですね。

 ニーチェは世界が深いと言いました。心の世界は、単純に「正義」と「悪」という二元論ではなく、自分も他人においても、人は複雑なしがらみの中で生きているという優しい眼差しを持ちたいですね。」

  


Posted by まっちゃん  at 21:09Comments(4)その他

2009年03月25日

片思い

いつも冷静に対処していこうと思って仕事しているのですが
いろんな患者さんの話を聞いていると
ついつい、「それは何とかしなければ」と肩入れしてしまうこともあります

今度の話し合いでは、こういう方向にもっていきたい
どういう方向性で話を聞けばそうなるのか等々シュミレーションしたりもします

でもこれって「片思い」のことが結構多いんです
これ程肩入れしているのに、何故そうなるんだという展開が待っていたりします

こういう時に自分の未熟さにへこんでしまうし
治療者として冷静さを欠いていなかったかチェックする必要もあります

今日も少し不機嫌になりながら自分を分析してみました
結論として、こういうスタンスで治療するのが自分なのだから「これでいいや」
明日も頑張ろう  
タグ :肩入れ冷静


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(6)日々の診療について

2009年03月24日

誰のための解決方法

WBC連覇おめでとうございます、昼休みには9回裏ダルビッシュが連続四球を出したところまでしか見れず
その後の展開がどうなったのか、気になりつつも仕事して、夕方に結果を聞きホッとしました

話はコロッと変わりますが、診療についての話題です
当院には、いろんな困った問題を抱えた人が相談に来られます
人は相談を受けて解決策がありそうであれば、すぐにそれを伝えたくなります
でも人間というものは、困ったことを相談されると、分かりやすい解決策を出しては
自分が安心したがるものです
その解決策が本当に相談者にとって良い解決策なのかどうか
それを決めるのは相談者です

「せっかく良い解決策を出してやったのに、言うことを聞かないのは相談者が悪い」
というのは凄く迷惑な話です

「相談者は解決策を求めてはいないのかもしれない
ただ話を聞いてもらいたいだけなのかもしれない」
という見方も必要ですし
「良い解決策が思い付いても、それはもう相談者が考えている解決策かもしれない」
という考え方も欠かせません
相談者の本当の希望を汲み取ることが一番難しいのかもしれません

くれぐれも自分だけが安心できたり、納得できる解決策を
相談者に押し付けないようにと、自分に言い聞かせながら仕事してます  
タグ :解決策


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(2)日々の診療について

2009年03月23日

バーナム効果

人間というものは、弱気なっていると血液型占いでも落ち込むことがあります
弱気な時は、それを気にしない元気も不足しています

占いと言えば「バーナム効果」という言葉があります
「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格の記述を、自分だけにあてはまる
と捉えてしまう心理学的な現象」です
占いはバーナム効果を大きく利用しているものも多くあります

例えば、「さだまさし」さんの「もうひとつの恋愛症候群」の歌詞の一部を見て下さい
「なにしろ気が付き過ぎるから、人の悩みまでしょい込んで疲れたあげく、人にうとましがられる A型
 気が向いたら異常に優しいけれども、めったに気が向かず、根に持ちわがままでも、 うらまれない B型
 回りの情況はひどくクールに判断するくせに、自分のことは何も見えない AB型
 信じやすくだまされ続けて、もうだまされるもんかと誓った翌日にまただまされる O型」

まさにバーナム効果だなあと思います
私はA型ですが、どれもあてはまる気がします



  


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(8)日々の診療について

2009年03月22日

方言

我が家の子供達の会話を聞いていると、吹き出しそうになることが度々あります

姉と弟で遊んでいて、弟が布団の下に隠れた時に
「(弟が)出て来らっさん」と姉が言いました
すると弟は布団の中から出て来て言いました

「出て来らっさん、って誰?」

すぐには何のことかよく分からなかったのですが
人の名前を言う時に「~さん」と言うので
「出て来らっ」さん、という人がいると思ったようです

こちらの予想を超えた会話についていくのがやっとです

それにしても方言が身に付いている姉です  


Posted by まっちゃん  at 22:07Comments(3)その他

2009年03月21日

「おっさん」だなぁ

30代後半ぐらいからでしょうか、四季折々の花や樹木に感動するようになりました
30代前半までは若さの勢いはあったけど、本当に四季の花を楽しむというのはありませんでした

今日も仕事の帰りに、街路樹の根元に小さな花が植えてあり
これが綺麗に咲きそろっているのを見つけ、しばらく見入ってしまいました

桜がそろそろ咲いてきているので、通勤途中に桜並木がありますが
そこの横を通るのが楽しくて、通勤途中にウキウキします

こういう自分を振り返ると、「おっさん」になったんだなと思います

若い頃から「先生、先生」とおだてられ、人に何かしてもらうことが当たり前になっていて
自分から人に何かしてあげようという気持ちが少なかったと思います

まだまだ人生これからなので、出来るだけ人の役に立つことがしたい
と思ってる「おっさん」でした  


Posted by まっちゃん  at 23:01Comments(4)その他

2009年03月20日

すもも



狭い庭ですが、我が家の庭の「すもも」の樹に花が咲きました

庭に植えて3~4年目の春に、初めて花が咲きました

なんだか感動する出来事でした
今年は実もなってくれると嬉しいなあと思っています

「すもも」は、こちらが気にしなくても着実に根を育て
力を蓄えていたみたいで、これからのこの樹の成長も楽しみになりました  


Posted by まっちゃん  at 21:49Comments(2)その他

2009年03月19日

ヒステリー

ヒステリーと言うと、一般的には「キーッ」と怒っていることと思われてますが
医学的には全く意味が違います

医学的にはヒステリーは転換型と解離型に分かれますが
簡単に言うと、記憶喪失になったり、脳に全く異常がなくても痙攣発作を起したり
喉もどこも悪くないのに急に声が出なくなったり、足は全く悪くないのに歩けなくなったり
そういう症状になることを言います

医学生の頃は「アルプスの少女ハイジのクララはヒステリーだよね」
と言っていた同級生を懐かしく思い出します

自分に都合が悪いことが起こると、そのストレスを自分の中で処理できず
すぐに痙攣発作を起してしまう患者さんに苦労したこともあります
ここで大事なことは、無意識がそういう症状を引き起こしているので本人は絶対に
わざとやっているわけではない、ということです

家族の交通事故を目撃してしまい、見える範囲が狭くなってしまった子供もいました

その中でも凄かったのは
呼吸を止める発作を起した若い女性の患者さんが
チアノーゼ(唇が酸欠で青くなること)を起しているのに呼吸が戻らず
救急の医師が気管に管を入れる寸前までいっている時に
主治医が来て(私じゃありません)「これは困った、浣腸しよう」と言って
パンツを下ろそうとしたら呼吸が戻ったことがありました
主治医はその患者さんがどう思うか反応するか読んでいたんです
これも患者さんは決して、わざとではありません
わざと呼吸を止めてチアノーゼが出るまで我慢できる人はいるのでしょうか

人間の無意識というのは凄いものです
これを上手くコントロールするのは時間と努力が必要です  


Posted by まっちゃん  at 23:29Comments(0)日々の診療について

2009年03月18日

思春期心性

思春期の子供の心の特徴を「思春期心性」という言い方をします

中学生ぐらいの時によく見られるのは
「理想化と絶望」です
ある時は、自分は何でも出来るような気持ちになるが
少し挫折すると、もう自分は駄目な人間だと落ち込んでしまう
非常に極端に気持ちが揺れやすい状態を言います

中学生の頃を振り返ってもらうと、自分もそうだったという人は多いと思います

自立したくて、親の言うことに対して反発するけど
適切な判断が下せる程には経験や知識がなく、気持ちばかり先走りし
具体性に乏しい

可愛いなあと思ってしまうけど、親にとっては扱いにくい時期ですよね

臨床の場面では、とにかく子供達の気持ちを理解し味方になること
そうすると不安定な時期を支援させてもらえます  


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(0)思春期の問題について

2009年03月17日

頭を柔らかく

カウンセリングの本を読んでいて面白い話を見つけました

「突然ある少年が、通りに面した家の窓ガラスに向かってボールを投げました
 当然窓ガラスは割れ、その家から二人の男性が出てきました
 二人の男性は何やら話し合っています」

これから想像する少年の行動の理由は何か?

・少年のただの「いたずら」かもしれない

・少年は何か悲しいことがあった

・少年はその家の人に恨みがあった

・少年は児童虐待にあっているのかもしれない

・親が愛情を持って少年を育てなかったからかもしれない

・少子化の影響で、我がまま放題に育てられた少年かもしれない

・地域社会がもっと見守ってあげなかったから起こったことかもしれない

以上のように、いくらでも理由は考えられます
考える人の立場や、思想等でかなり違ってくるかもしれません

あるひとつの出来事に対して
人は、自分の考え方で解釈する方向性を決めてしまいがちです
これが先入観になり、自分が納得できる解釈をします

この話の「オチ」は
「少年は二人の男性に頼まれて、窓ガラスの強度の実験のためにボールを投げた
 そして男性二人はその実験結果について話し合っていた」
というものでした

なんということはない理由ですが、話をよく聞き、結論を急がず
自分の先入観だけで解釈しない方がいいという教訓を与えてくれています

  
タグ :先入観解釈


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(0)日々の診療について

2009年03月16日

hanana

今晩は診療が終わった後で、スタッフみんなで
クリニックの近くにある「hanana」に行きました


     





 



どれも非常に美味しく、満足して帰ってきました
それにしても、今日はお客が多く、繁盛してました

写真の腕がいまいちで、もっと美味しそうに撮れたらよかったんですが  


Posted by まっちゃん  at 22:41Comments(0)武雄あれこれ

2009年03月15日

一日遅れのホワイトデー

今日は、一日遅れのホワイトデーということで
アーマパスタさんに家族で買い物に行きました

ホワイトデーだから何でも好きなものを買っていいよと言うと
娘と妻は


次々に購入して、写真のような結果になりました
  


Posted by まっちゃん  at 22:25Comments(4)その他

2009年03月14日

脳内ホルモン

脳内ホルモンは様々ありますが
それぞれの役割はまだ全てが分かっているわけではありません
まだ見つかっていないホルモンもあるんじゃないでしょうか

その中でも「うつ」に関与すると言われるのは
セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン等があります

これらの脳内ホルモンが少なくなったり、上手く働かなかったり
これが「うつ」の原因ではないかと言われています

それらのホルモンも他の体内のホルモンも分泌するリズムがあります
ホルモンによって違いますが、朝に多く分泌されるホルモンもあれば
寝ている間が最も多く分泌されるホルモンもあります
女性ホルモンのように一ヶ月周期で多く分泌されたり、少なく分泌されるものもあります

そのため気持ちだけではホルモンの分泌はなかなか変えられません
休息をとり、人間の持つ本来の自己治癒力により
ホルモンバランスが戻るのを待つのも大切な方法です
もちろん、このホルモンバランスを改善するため薬を使うこともあります

でも人間とは不思議なもので、満腹でも甘いものは別腹で入ることがあります
これは本当に胃が少しだけ甘いものを入れる隙間を頑張って作ってます
これと同じで脳内ホルモンが少なくなって苦しくなっていても
非常に強く思っていたりすることに対しては、「うつ」の時でも一時的に動ける時があります
これは一時的にホルモンの分泌が良くなっているのかもしれません

でもこれは長続きするものではないことが多いです
しかし周囲の人は、「うつ」だと思っていたのに
自分に都合のいいことだけは動けるという解釈をすることがあります

これはもう満腹だと言っていた人に
「別腹で甘いものを食べるということは、満腹だと言っていたのは嘘だったのか」
と言うようなものではないでしょうか

人間の脳の中ってまだまだ解明されてないことが多過ぎます  


Posted by まっちゃん  at 23:49Comments(0)「うつ」について

2009年03月13日

弱音の本音

誰かに本音を話すのって、すごく勇気の必要なことだと思います
ましてやその本音が、自分の弱い部分についてだったら、もっと大変です

自分の弱い部分は、人には見せたくないもの
恥ずかしいもの、みんなから嫌われるかもしれないもの
そう思うから隠してしまうのでしょうか

弱い部分は誰にでもあることは、十分に理解している
隠さなくてもいいものだと分かっている
でも素直には表現できない

みんな一生懸命生きています、自分に負けないように
自分の弱い部分に負けないように、頑張っています
でも頑張ってばかりじゃ疲れますよ

たまには弱音を吐いて、思いっきり涙を流して、スッキリする勇気を持ちましょう

せめて診察の時だけは遠慮せずに泣いてもらっていいですよ
ティッシュはいくらでも準備します
  


Posted by まっちゃん  at 21:30Comments(5)日々の診療について

2009年03月12日

今晩は中華


今日は、診療が終わって夜は、佐賀で会合がありました。
いろんな議題があり、食事をしながらの会合でしたが、食事の内容を写真に撮りにくい感じでした。
それでも、なんとか撮ったのは今晩のデザートです。
マリトピアの中の中華料理店、シャンリーでの会合でした。
初めて行きましたが、なかなか美味しかったです。
  


Posted by まっちゃん  at 22:25Comments(0)その他