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Posted by さがファンブログ事務局  at 

2009年06月30日

いただきもの

昨晩帰宅したら、いただきもので杏慕樹(あんぼじゅーる)さんのケーキがありました
特に何をしたという訳でもないのですが、お礼にということでした
まだ杏慕樹さんのケーキは食べたことがなかったので、非常に嬉しく
さっそく家族と一緒にいただこうと思いましたが、娘はもう寝てました
夜更かしの息子はまだ起きていて、妻と息子と私の3人で食べることになりました

姉が寝ているすきに、自分だけケーキを食べられる息子の嬉しそうなこと
兄弟の中でも、一方に隠れて一方を可愛がるというのはたまには必要だと思います
不公平のないように両方にしますが、自分だけ特別扱いしてもらったという感じは子供にとって秘密の喜びになると思います



もちろん翌朝、起きてきた娘にもケーキはありました
デザインも美しく、すごく美味しいケーキでした、ありがとうございました


今日は、また面白いブログを見つけました
パパスイッチ」という父親のための子育て情報がいろいろあるブログです
その中でママサポートというコーナーで
バタバタと忙しそうなママに、「手伝おうか?」と言って、ドカーンと怒られたということが書いてあり
これは男性にとっては盲点だなと感心しました
「手伝う」という外野的な言い方ではなく、「何かできることあるかな?」と言うべきということです
ほんの少し言い方を考えるだけで、相手の受ける印象は大きく違います
日々の診療の中で、いつも感じていることです

  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(2)その他

2009年06月29日

母性が失われる時

これは有名な児童精神科医の佐々木正美さんの言葉です
「お母さんが夫に失望したり、夫への信頼を失ったりすると、母性を失ってしまうのです。
そして知らず知らずのうちにいらだちが大きくなり、子供への指示、命令が増えていくのです。」

本当にその通りだと思いました、昔から夫婦仲のいい家庭では
子供は放っておいても育つと言われてきたようです

子供達が最初に人間関係を学ぶのは、両親の関係からです
信頼に満ちた人間関係を是非見せてあげれば、人を信頼できる子になるし
不信感や批判に満ちた人間関係を見せれば、人を信用できない、批判する子になるのかもしれません

我が家も夫婦関係をよく保っておかなければと思います


それにしても、昨晩の「エチカの鏡」は非常に興味深い内容でした
「接遇」指導のプロの平林都さんの話には、すごく感銘を受けました、いい番組だと思いました
平林都さんという人は知らなかったのですが、是非もっと彼女の話を聞きたいと思う人でした
その中で、相槌は「、」ではなく「。」で打てというのも納得できました
相槌は「うん、うん、うん、」と「、」でするのではなく
「そうですね。」「分かりました。」と「。」でするということです
夫婦間での相槌にも同じことが言えます

それにしても最近は日曜の夜は「エチカの鏡」ばかり見ています
「行列のできる法律相談所」を見なければとも思いますが、見てません
本村先輩、許して下さい
  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(4)思春期の問題について

2009年06月27日

心と体の不思議

人間の心と体の関係って本当に不思議です

経験のない人は「気の持ちようだ」「もっとしっかりしろ」等を言う人もいますが
実際に経験してみるとすごくよく分かることってありますよ

体のどこかに調子の悪い部分があった時に
これは何故起こっているのだろうと不安になり
意識してるとさらに不調が強くなってきている気もする
いくら大丈夫だと自分に言い聞かせても症状は変わらない
でも思い切って検査してみて、「異状なし」という結果を聞いた途端に
その体の調子の悪さがスーッと消えてしまう

今日は体の不調があり、元気が出ないと思っている
そう思っていると、さらに体が重く感じて集中力も落ちてくる
そんなことはないと自分に言い聞かせて、何度も気合いを入れて動こうとするが
なかなか思うようにいかない
そんな時にビタミン剤や栄養ドリンクを飲むと元気が出て来る
飲んでまだあまり時間が経ってないのに効果が出る
(まだ効果が出る時間も経ってないのに)

これを「心が弱い」と笑える人はどのぐらいいるのでしょうか
人間の心と体は間違いなく密接につながっています
心の不調が、体の不調として表れるのはよくあることであり
これは心が強いとか弱いとかの問題ではない気がします  


Posted by まっちゃん  at 21:00Comments(3)日々の診療について

2009年06月26日

脳と心と波の会

今晩は「脳と心と波の会」の医療連携講演会がありました
「脳と心と波の会」は以前にも書きましたが、内科、小児科、脳外科、精神科等の枠を越えて集まり
主に脳波について勉強していく会です

今回は肥前精神医療センターの副院長の杠岳文先生先生に武雄まで来ていただき
「認知症とうつの診断と治療」という題で講演していただきました



高齢の患者さんの場合、認知症と「うつ」の鑑別が非常に難しい患者さんも少なくなく
経験豊富な先生のお話が聞けて、大変勉強になりました

写真は一番左が私で、中央が杠先生、右はこの会の代表世話人のひろおか内科・神経内科クリニックの廣岡満先生です

杠先生とは、私が肥前療養所に勤務している時に一緒に仕事させていただいたことがあり
当時の思い出として、亡くなった患者さんの脳の標本をとるため
杠先生の補助として、初めて頭蓋骨から脳を取り出す作業をして
すごく緊張して恐ろしい思いで作業したことを思い出します
今となっては貴重な経験のひとつでした  


Posted by まっちゃん  at 22:56Comments(0)日々の診療について

2009年06月25日

気を遣い過ぎです

周りの人に対して、すごく気を遣うという人が当院には多く受診されます

そんなに気を遣わなくても大丈夫だろう、とみんなが考え
本人もそれが分かっていても、気遣いが止められない人がいます

少しぐらい気を遣わなくても、誰も気にしないだろうなと考えつつも
もし、気を遣わない人だと思われてしまったらどうしようと怖くなってしまい
やはりいつもの自分を変えられない人がいます

そんな時に「大丈夫ですよ、あなたは人より何倍も周りに気を遣っているのだから、少しぐらい気を遣わなくなっても、それでもみんなより気を遣ってますよ」
と説明します
「そうですかぁ」とあまり納得はしてもらえない時が多いのですが
何と伝えたらいいのか難しい問題です

実際は、勇気を出して気を遣わなかったが、特に問題はなかった
という経験を重ねていくことが大事なのかもしれません

でもこういう人は本当に多くいらっしゃいます
みなさん優し過ぎて、怖がりでもあります
せめて診療の時は、気を遣わずに言いたいことを言って欲しいと思っています
  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(3)日々の診療について

2009年06月24日

どうせ私なんか

「どうせ私なんか、これから何もいいことはありません」
「どうせ私は、何も変えることのできない人間です」等の、すねた言葉を言う患者さんもいます

本心からそう思っているわけではなく、すねて愚痴をこぼしたい時に
そういう言葉は出やすいと思います
愚痴をこぼして、いっぱい弱気なことを言うのも時には必要だと思います
それで心が少し軽くなる人もいます
診察の時ぐらい、弱気ですねて見せても、それは大丈夫だと思います
ただ、いつでもすねてばかりにならないように気を付けておく必要はあります
あまりすねてばかりいると、本当に何も行動できなくなってしまいます

一方で診察の時に、無理して前向きな発言をしてしまい、後できつくなる人もいます
それも困ることですが、どちらがいいのだろうと時折考えてしまいます

「こんなに頑張ったのに良い結果が出ない」「何も悪いことをしてないのに、嫌な事が起こる」
世の中は、すねたくなることは多いものです
心が弱っている時は、特にすねたくなる人も多いと思います
そんな時は、思い切ってすねましょう、無理に頑張らなくていいですよ
でもそれを、どこかで切り替えるチャンスを待ちましょう  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(2)日々の診療について

2009年06月23日

東国原知事が自民党総裁に

今日のニュースには驚かされました
宮崎県の東国原知事が、次の総選挙への出馬を要請され
出馬するための条件として、自分を自民党総裁候補としてくれと言ったらしい

ニュース番組では、それに対する自民党議員達の冷ややかな反応を映していたが
東国原知事は「そのぐらいの意識改革が自民党には必要なんだ」と主張していた

政治をする人達の心はどうなっているのだろう
いかにも正しそうなことを言っているが、本当のところは全く知らなくても
すごくその方面に詳しいかのように話せる政治家
目立つことが大好きで、名誉欲のかたまりのような人間なのに
口先では人のためだと言い、選挙の時だけ頭を下げまくる政治家

政治を仕事としている人達は、自分の心を守るのは本当に大変だろうと思う
本当の自分が分からなくならないようにして欲しいものです

次の総選挙ではなく、来年夏の参議院選挙に出馬したいと考えているという趣旨の
手紙が中学・高校の時の同級生から来ました
選挙区は佐賀県ではなく、他県のことですが、もちろん応援はする予定です
同級生から応援されない程度の人間が、国会議員になっても成功はしないでしょう

それにしても政治を仕事としている人達のメンタルヘルスは必要ないのか
と心配するのは、余計なお世話でしょうか
  


Posted by まっちゃん  at 22:56Comments(2)その他

2009年06月22日

世話をしすぎない

アルコール依存症の患者さんの家族から相談を受けることが時々あります

基本的にはアルコール依存症は、ほどほどで止めるというブレーキが壊れた状態であり
性格がだらしない等ということはないと説明します
病気に対する理解がまず必要であり、そこから対策が始まります

だらしない人、意志が弱い人がアルコール依存症になるわけではありません
これは心の中の(脳の中の)ブレーキが壊れた状態なのです

アルコール依存症の患者さんは、まず自分はそんな病気じゃないという「否認」から始まります
止めるつもりになればいつでも止められると主張し、自分自身のブレーキが壊れた自覚が持てません

ここで家族の方に説明するのは、患者さんが酔っ払ってした行為の後片付けを
家族がしてはならないということです
酔って帰宅し玄関先で寝てしまったら、部屋まで連れて行き、着替えさせ、布団に寝せる等はしてはいけないということです
そのまま玄関先に放置して(真冬で凍死しなければ)、世話をしないことが大切です
そうしないと患者さんが目が覚めた時に、着替えて布団の中で寝ていれば、自分のした行為に対する反省は起こりません
それは患者さんが、早く病気に気付くことを邪魔してしまうことになるのです
アルコール依存症の患者さんは、最初の「否認」が強いので、これをどう変化させるかが大事です

ギャンブル依存症の患者さんも、買い物依存症の患者さんも
家族が借金を肩代わりして返してしまうので、自分の病気に気付くのが遅れてしまいがちです
本人が気付くまで、心を鬼にして「手を出さずに、見守る」これは大変勇気がいることです  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(3)日々の診療について

2009年06月20日

誰に怒っているんだか

これはよくあることですが
何か腹が立つことがあっても、その原因になった人に対して怒れない時に
関係のない人に対して怒ってしまうことってありますよね

何が原因か分からないけど不機嫌な時も、つい怒りをぶつけやすい方にぶつけてしまうことってありますよね

自分はストレスが溜まっているから、自分は今はイライラしているから
関係のない人に怒りをぶつけてしまって申し訳なかったと思える人はいい方です

一番困るのは、自分のストレスが溜まった状態を自覚しておらず
関係のない、怒りをぶつけやすい人の、ちょっとした失敗に対して必要以上に怒ってしまう
自覚がないため怒ったことを反省することはなく、相手の悪いところを責めてばかりになってしまう人です

人に対して怒った時は、本当は誰に対して怒っているのか、怒りたいのか
自分を省みることが必要だと思います

怒りは、また次の怒りしか起さない、嫌なことですね



関係ないですけど、私が思春期の頃にある歌手が言ってました
「自分は敵は作っておく、そうしないと自分が何者か分からなくなってしまうから」
すごくカッコいい台詞で、当時は感動した覚えがあります
今の自分は、別に敵は作らなくても、自分のルールさえしっかりしてればいいのにと考えてしまう
思春期の純粋さよもう一度、と思ってしまいます  


Posted by まっちゃん  at 22:44Comments(0)日々の診療について

2009年06月19日

肩の力が抜けない人

こういう話はピンとこない人もいると思いますが
「肩の力をどうやって抜いたらいいか分からない」「リラックスってどうやっていいか分からない」と言う人は決して少なくありません

一生懸命に頑張ることでしか自分に価値を見出せなかったり
手抜きする自分をどうしても許せなかったりするので、苦しくなるんだと思います

「肩の力を抜きましょう」「もっと楽に生きても大丈夫ですよ」と説明するけど
この説明では、分かりきったことを言ってるだけで、解決にはなりません

私にも、そういう人の肩の力を抜かせるためにはどうしたらいいか分かりません
ただ、一生懸命に生きてきて、よく頑張ったことを認めてあげて
これからどうすれば、少しでも楽に生きていけるか一緒に考えていくことしかできません

肩の力が抜けないというのは、不器用で生きていくのが苦しくなりやすい人なのかもしれません
でも周りにその人を理解する人がいて、「それでいいんだよ」と認めてくれて
決して見捨てずに支え続けてくれると、少しづつ変わっていくような気がします

簡単には答えは出ないので、焦らずに、でもあきらめずにやっていくしかないのでしょう  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(1)日々の診療について

2009年06月18日

発達障害なのか個性なのか

新しい環境等に馴染めずにストレスをためて、結果として「うつ」になって受診する患者さんは多いのですが
その中には発達障害を疑わせる人も少なくありません

はっきりと診断できるレベルではないが、発達障害の要素を少し持っている人は
どうしても新しい環境に対して不適応を起しやすい
それをその人の個性として理解してもらい、自分なりのストレス対処法を考えていかないといけない

自閉症スペクトラムという考え方があり、本当にその通りだと思う
様々なレベルの人がおり、誰が見ても発達障害だと分かるレベルの人はまだ対処法が説明しやすい
でも発達障害なのか個性の範囲なのか微妙なレベルの人は、患者さんにどう説明するか
どう対処法を説明していくか悩ましいところです
現実には臨床をしていると、判断が微妙なレベルの人が多いのです

そしてもっと大事なことは、発達障害かどうかという判断を下す前に
その人の生育環境や子供の頃からの思いを十分に聴き
一見発達障害の様に見えるが、愛着性の問題等を抱えていないのか
そういう角度からも診る習慣も必要だと思われる

日々の診療の中でバランス感覚を失わないことも大切だと思う
これがないと偏った診断や治療になるのかもしれない
段々と頭が硬くなってしまわないように、常に柔軟性を持った考えでいたいものです
  


Posted by まっちゃん  at 22:55Comments(0)日々の診療について

2009年06月17日

ツイてる!

「疲れた」という言葉と、ラッキーだなぁという時の「ツイてる」とは同じ語源らしいです

「疲れた」は、「何者かに取り憑かれた」というのが語源で
何者かに取り憑かれているので、疲れる
得体の知れないものに取り憑かれて、疲れさせられるという意味があるそうです

一方で「ツイてる」は
「何者かがツイてくださっているので、いいことが起こる」
「いつもツイてくださっているので、安心だ」という意味があり
やはり目に見えない何かの力を表しています

どちらも、何者かが憑いているという現象は同じなのですが
解釈の仕方で正反対の意味になってしまっています

同じ現象に対して、ポジティブに解釈するのか
ネガティブに解釈するのかで、こんなに違うんだと改めて考えさせられました

どうせ憑いてもらうんだったら、「自分はツイてる」とポジティブに考えて
これからは「疲れた」はあまり言わないようにしようかと思いました

明日もきっと「ツイてる」一日になりそうです
そう考えるだけで、少し元気が出ます  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(2)日々の診療について

2009年06月16日

いろんな「うつ」

「うつ」と言っても本当に様々であり、厳密に区分するのは難しいものです

その人がこれから成長していくために必要な「悩み」による「うつ」であったり
大事な人との別れの「つらさ」による「うつ」であったり
新しい環境に順応できないことの「きつさ」による「うつ」であったり
自分の感情が上手く調整できずに落ち込んでしまう「うつ」であったりと
書き出したら止まらないぐらいの、いろんなパターンがあります

「うつ」が多様化し、治りやすいものもあれば治りにくいものもある
治療を急ぐ必要があるものもあれば、急がずじっくり構える必要があるものもある
診断もつけにくく苦労するケースも少なくはない

あまりにも「うつ」の範囲が大きくて
説明するのにも苦労する状況です

ただ、以前にも居ましたが
「風邪のきつさは我慢して仕事に行ける、でも「うつ」のきつさは動こうとしても体が動かないのでどうしょうもない」
と言う人がいます
これは「うつ」のつらさを分かりやすく表現しています
でも仕事に行けたら「うつ」じゃないのかと思ってもらうと、それも違います

それだけ「うつ」は多様であり、分かりやすく型にはめることは難しくなっています  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(0)「うつ」について

2009年06月15日

ニューアルバム

今晩は診療が終わった後で、武雄市内の某所で会合がありました
新しく「うつ病」に関する研究会を立ち上げるための会合でした
いろんな先輩医師の意見が聴けて勉強になりましたし、これからどんな研究会に成長していくかとても楽しみです

そんなこんなで今晩は帰宅が遅くなりましたが
昨日、「さだまさし」さんのニューアルバム(美しい朝)を買いました、もう何度も繰り返して聴いてます
今晩の帰宅途中も聴きながら帰ってきました
今回のアルバムもかなりいいです
恐らく6月は何回も繰り返し聴き続けることでしょう、そして7月のコンサートがすごく楽しみです


  


Posted by まっちゃん  at 23:25Comments(3)その他

2009年06月14日

すもも収穫

以前にブログに載せたことのある、我が家の「すもも」の木に実がなりました

まだ熟してないものもありますが
子供を、肩車して高いところの実を採ったりと
楽しく日曜日に収穫できました



小さな木ですけど、結構多くの実がなるものだと驚いています

  
タグ :すもも収穫


Posted by まっちゃん  at 22:54Comments(2)その他

2009年06月13日

知識で、人の生き方は変わらない

診療をしていて
「それは、こういうことですから、こうした方が正しいですよ」と
アドバイスすることがありますが、知識を教えてもらったところで
人は必ずしもそう行動するものではない、といつも感じています

知識が人を動かすのではなく、人を動かすのはやはり感情なのではないでしょうか

タバコが体に悪いことは誰でも知っています
その知識があっても、タバコを吸い続ける人は多くいます
さらにタバコがどれ程体に悪いか知識を増やしても
それでタバコが止められるものではありません

私も、もっとやせないと生活習慣病が怖いという知識は十分持っています
でも実際の行動は知識では起こせません

患者さんに対して、正しい知識を提供したというだけでは解決にはならないのです
どうすればその知識を生かした行動がとれるようになるのか
それをサポートすることが、本当の意味での患者指導なのかもしれません
なかなか実行が難しいことです
  


Posted by まっちゃん  at 22:39Comments(2)日々の診療について

2009年06月12日

時間が薬

消極的な話かもしれませんが
「時間が薬」ということは本当に多いのです

すごく悲しい出来事があり、もう二度と立ち直れないと感じても
その出来事が起こった直後と、24時間後と一週間後と一ヶ月後と一年後を比べれば
悲しみはゆっくりと確実に薄れてきます

すごく嬉しい出来事があって、もう天下をとった様な喜びがあっても
やはり出来事の直後と24時間後と一週間後では、喜びの大きさは全く違います

どちらかというと「喜び」が早く薄れ、「悲しみ」が薄れるにはより時間がかかります

でも薄れない悲しみというものはなく、記憶が薄くなっていく訳ではなく
悲しみに対する考え方、受け止め方が変わっていくのだと思います
そうやって人間は自分で自分の心を守っているのではないでしょうか

大きな悲しみの中にいる人に、「この悲しみは必ず薄れていきますよ」
と言うのはあまりにも酷な話であり、ただ悲しみの中にいるのを見守ってあげるしかありません


でも時間とともに「悲しみの受け止め方」が変わっていけるように
同じ話の繰り返しであろうとも、しっかり耳を傾けてあげて
話して気持ちの整理がつくようにしてあげる方法もありますが


究極は「時間が薬」であり、それ以上はないのでしょう  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(2)日々の診療について

2009年06月11日

本当は苦手なんです

不登校の子供達と話していて
子供達が一生懸命に、絞り出すように本音を話してくれた時には
その気持ちになんとか応えなければと思います

子供達が自分では言えないけど、周囲の人に分かってもらいたいという思いを語る時に
「よし、それなら私が代わりに言ってあげるよ」と私は言ってしまいます

親に上手に自分の気持ちを言えないという子供の場合は
だいたい一緒に付いて来ている親に、「子供の気持ちとは」という解説も加えて
話を代弁してあげることで、次に進んでいけるのですが

学校の先生や友達に対して、自分では言えないという子供の場合には
私が学校に電話して、担任教師や養護教諭に話さなければならなくなることが多く
実はこれが苦手なんです

顔も見たことない人に対して、いきなり電話で複雑な話をするのは苦しくなります
お互いにどうしてあげたら、その子が楽になるか考えたいという共通点はあるのですが
その教師がどんな人なのか、どういう教育論を持っているのか
全く知らないのに、相手の表情も見えないままに、様々な問題について話すのは
かなりの緊張を伴います

できればしたくない苦手な分野なのですが
なんとか話してくれた子供達の勇気を見習って電話しています
でもこれだけは慣れないものですね  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(3)日々の診療について

2009年06月10日

泣く

診察室で泣く患者さんは、毎日何人もいます
サッと、テッシュボックスを差し出せるようにしていますが
自分のハンカチを持って泣かれる方も少なくありません

診察室で泣けるのはいいことだと思います
泣くことで、心の中に抱えていたものが少し溶け出してきます
そして泣いた後は少し楽になる人の方が多いようです

いっぱい心の中に抱えているけど、それに自分では気付かずにいて
診察中に涙が出てくることで気付くことができる人もいます
「ああ、自分はこんなにつらかったんだ」と分かってもらえると
その人はグッと楽になれるものです

私自身もたまには泣いて、スッキリしたいこともあります
今は泣きたい時に見るのは、映画の「いま会いにゆきます」です
非常に泣けるいい映画ですが、何度も見ているのでさすがに脳が慣れてきました
それであまり度々は見ないようにしていますが
何か次の泣けるものを探さないといけないと思っています

たまに泣くことは、自分を解放するし楽にしてくれます
余裕があれば、自分はどうしてこれで泣けるのか自分を振り返ることができれば
すごくいい自己分析にもなります


  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(0)日々の診療について

2009年06月09日

傷付いた人々

患者さんの中には、周囲の理解のない言葉で傷付いている人が多くいます

一番よくあるパターンは、「うつ」で落ち込んでいるのに
「気持の問題でしょ」と気持ちが弱い人のように言われてしまう
その他にも「しっかりしなさい」と励まされた人や、無理やり坐禅をさせられた人までいます
「うつ病」に対する世間の理解の不足を実感します

パニック障害で動悸や息苦しさを訴え発作を起こすことを
やはり気持ちが弱いからだと言われてしまう人もいます

不登校になった子供が、気持ちが弱いからだと言われてしまうことも
本当によくあることです

これらは一般の人に言われるだけでなく
医療従事者からも、このような理解のない言葉をかけられて傷付く患者さんも少なくありません

その一方で「引きこもり」の人を、すぐに何か病気があるんじゃないかと考えてしまう人も多いようですが
必ずしも彼らは病気があるから引きこもっているわけではないと思います
これは世の中の偏見だと思います

どうしたら患者さん達が傷付くのを少なくできるのか
やはり啓蒙活動しかないのでしょうが、まだまだ時間がかかりそうです
微力ながら私も啓蒙活動を頑張っていきたいと思っております
  


Posted by まっちゃん  at 22:00Comments(4)日々の診療について