2011年01月25日
ファンタジー(空想)は人を支える
人が生活していく中で空想(ファンタジー)は必要だなと感じることがあります
自分が頑張っていく姿を思い浮かべるのも、自分を勇気づけるのに必要です
自分が成功する姿や、未来の自分を空想することも
大きな力になることがあります
たとえ妄想だと言われようとも
その内容があるから生きていけるという人もいるのです
現実ばかりを求めて、空想を否定してしまうと
その人の人生は寂しいものなのかもしれません
話は少し違いますが、精神科病院には殆どの病院に「皇族」だと名乗る人が入院していました
自分は「天皇」だと名乗る人にも、何人も会いました
「先生に、今日は3億円振り込んどいたから」と毎日話してくれて
私の口座は大変なことになりますよ、と挨拶していた患者さんもいました
空想でも、妄想でも、誰にも迷惑をかけず
幸せな気分になれるのであれば、それでいいんじゃないでしょうか
自分が頑張っていく姿を思い浮かべるのも、自分を勇気づけるのに必要です
自分が成功する姿や、未来の自分を空想することも
大きな力になることがあります
たとえ妄想だと言われようとも
その内容があるから生きていけるという人もいるのです
現実ばかりを求めて、空想を否定してしまうと
その人の人生は寂しいものなのかもしれません
話は少し違いますが、精神科病院には殆どの病院に「皇族」だと名乗る人が入院していました
自分は「天皇」だと名乗る人にも、何人も会いました
「先生に、今日は3億円振り込んどいたから」と毎日話してくれて
私の口座は大変なことになりますよ、と挨拶していた患者さんもいました
空想でも、妄想でも、誰にも迷惑をかけず
幸せな気分になれるのであれば、それでいいんじゃないでしょうか
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少し違うかもしれませんが、認知症のケアの一つに『回想法』というのがあります。これは、昔の生活道具などの写真や現物を見ながら、かつての(若くて元気だった)自分を思い出し、話すことで活気を取り戻してもらい、それにより認知症の進行を予防しようというものです。
確かに、昔はこうだったねと話すとき、不思議と目に輝きや活気が戻ってくるのです。今の自分を見ると辛くなるけれど、昔の自分を話すときは、そのことを忘れて、幸せな気持ちになるのかもしれません。
また戦争体験を話す時、批判しながらも、不思議と生き生きしているようにも見えるのです。どちらにしても決して戻らない時間の中に自分を置いて、しばし空想の世界にふけっているのでしょう。
目の前の現実だけで人は生きられない。嘘や空想が人には必要で、時としてそれが人を支えている。大事なことではないかと思います。
以前読んだ本に、「期待しなければいいことがある」とありましたが、私は小さなことでも期待したり良い変化を空想せずに生きていくことは不可能です。何も期待せずにいると、とても空しくなって、生きる気力がなくなってしまいます。
ほとんど変化のない平凡な日々であっても楽しく生きていけるのは、大なり小なり将来に対する期待があるからです。それを空想(妄想?)して「現実になるといいな」と思いながら、生きているのです。
想像力は人間の持つ偉大な力の一つですよね。想像するだけで少し元気になれたり、現実のいやなことを忘れられるのなら、使わない手はないと思います。
そういう話を聴いてくれる人がいるというのは、その人も幸せですね
心の余裕がないと、いつも聴いてあげることはできませんよね
いい話だと思います、ありがとうございます
あずきさん
高齢の人達が、昔話をされる時に幸せそうな表情をされるのは
見ていてこちらも何だか嬉しいですよね、幸せな気持ちが伝染するんでしょうね
昔話からは学ばせてももらうこともいろいろあり、ありがたいですよね
akeponさん
本当にそうですね、想像力とは人間の偉大なる力だと私も思います
将来に期待することが、意欲にもつながるし、絶対必要な力だと思います