2011年01月11日
傷付き、傷付けて
社会の中で、人と関わりながら生きていると
誰かに傷付けられることもあるでしょうが
誰かを傷付けてしまうこともあるでしょう
これは避けられないことなんだと思います
人は誰かに傷付けられると
自分が、誰かを知らない間に傷付けてしまっていることを忘れてしまいます
自分が傷付けられた方が痛みを感じるし
誰かを傷付けても、それに気付かなければ相手の痛みにも気付きません
人と関われば、どうしても知らぬ間に傷付けてしまうこともあるものです
だからこそ人に対して、意識的には優しくしたいものです
優しくしよう優しくしようと思っていても
人間というのは知らぬ間に相手を傷付けてしまうこともあるのです
優しくしようと思ってないと、何だか怖い気がします
誰かに傷付けられることもあるでしょうが
誰かを傷付けてしまうこともあるでしょう
これは避けられないことなんだと思います
人は誰かに傷付けられると
自分が、誰かを知らない間に傷付けてしまっていることを忘れてしまいます
自分が傷付けられた方が痛みを感じるし
誰かを傷付けても、それに気付かなければ相手の痛みにも気付きません
人と関われば、どうしても知らぬ間に傷付けてしまうこともあるものです
だからこそ人に対して、意識的には優しくしたいものです
優しくしよう優しくしようと思っていても
人間というのは知らぬ間に相手を傷付けてしまうこともあるのです
優しくしようと思ってないと、何だか怖い気がします
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人を傷つける時は、自己中になってしまうんですね。でも、言葉は悪いけれど、その自己中さがないと、自分を守れないし、自分らしさを発揮して人の中で生きられないのだと思います。
自己中になりすぎていたら、他の人の気持ちや考えにも心を向けるようにすればいいのかな、ある意味優しさとは、そういう気持ちが持てる心のゆとりのことかな、とおもうのですが、如何お考えでしょうか?
と、毎朝通勤前に心の中で唱えます。
傷つくと(嫌味を言われたり、車が無理矢理割り込んできたりその程度ですが…) あ、自分はこんなことをしてはいけないと教えてもらいます。
次の車を止まって入れてあげたり、ほとんど自己満足ですがよかったな〜 優しくできたなあ〜と自分に感動し、またその車の運転手さんが手をあげたり、クラクションを鳴らしてくれたりするとますます嬉しくなる。優しさの連鎖です。
まだまだこの世も捨てたもんじゃないなぁと思います。
こんなことしてると楽しくて傷ついたことは忘れてしまってます。
これはかなりの修行が必要で実行できるようになるまでかなり時間がかかりました。
でも私の周りはいい人ばかりです。 この結果で証明できていると思います。
だから明日も唱えます。
心に余裕のある時は、意識的に優しく出来ても、自分が大変な事になっていたりすると、とてもじゃないですが私の場合は出来ません(汗)。
やはり人間ですからね、どこまでいっても完璧にはなれず……。
私も散々傷付いて来ましたが、それと同じ位に人を傷付けて来たのかもしれないと思いました。
気付かせて下さり、ありがとうございます。
気付き、気付かせて…ってのもいいものですね(o^-^o)
確かに自己中さがないと自分を守れませんよね
強くないと生きていけない、優しくないと生きていない
そういう感じなのかもしれません
愛さん
人を傷付けたことで、自分が傷付く
これがまた人間らしさなのかもしれませんね
裕子さん
この世もまだまだすてたもんじゃない
本当にその通りだと思います
優しい人は大勢いますよね、優しさを出すのが不器用なだけの人も
苺さん
みんな同じだと思います
なかなかできないんですよね
でもそれを意識してるかどうかは大きなことですよね